Monologue 4 ~合唱部と顧問の忘れられぬ出会い~

なぜか指揮者をした、中学一年生の秋から更に時は二年が過ぎました。時期は2003年の中学三年生の夏、正に受験真っ盛りのシーズンとも言いましょうか。

ですがそんな時期にも関わらず、全く進路が定まらず、私はまたフラフラしている一日を過ごしていた様に思います。特定の部活動に入らず、音楽や合唱に興味があっても、「今更合唱部に…」と踏ん切りがつけないでいました。

当時の合唱部は女性ばかりで、どこか入りづらい印象でした。

しかし、7月のある日、音楽科目の教師であり合唱部顧問である先生から、「大会に出場するのに、男声パートを探しています。合唱部を手伝ってくれませんか?」と声をかけられました。“大会”とはNHK学校音楽コンクール、全日本合唱コンクールの事です。この二つの大会は8月に同時期に開催されるものです。

この誘いが私の人生を大きく左右させました。

当時フラフラしてた私にとっても、大きな刺激となった上、合唱部に入る踏ん切りがつきました。返事二つでOKを出し、私は放課後に音楽室へ…。

見ると私以外全員女子…しかも殆ど後輩の一年生ばかりでした。そんな中で行う、初めての発声、音取り、合わせ…本当に何もかもが新鮮であり戸惑う事もありました。

ですが初めて学年を超えた中で造り上げる音楽、後輩との信頼関係…その時初めて生まれた“やりがい”“生きた心地”…その様な言葉が心の中に生まれてきました。

大会は8月初旬に香川県大会、8月下旬に四国大会、10月~11月に全国大会のスケジュールでした。県大会で終わると、そこで自動的に合唱部ともおさらばになるので、私は出来るなら長くいたいと思っていました。

しかし全日本合唱コンクールの方は四国大会に進む事が出来ました。8月の終わりまで合唱が続けられる…その時は本当に喜びに満ち溢れました。

四国大会の結果は残念なものとなりましたが…私の心には新たな思いが生まれました。“更に合唱をしたい”と…。

中学を卒業しても合唱を続ける事を胸に秘めて卒業しましたが、私を合唱の世界に導いてくれた顧問の先生が私の卒業と同時に異動…そのまま長い年月会えずじまいとなりました。

…ここで少し時を飛ばして12年後の2015年のお話をします。

会えずじまいとなっていた先生と再会を果たす事が出来ました。私が入っていた香川第九合唱団の2015年度の出欠簿を見ると、その先生の名前があってすぐに確認すると間違いなく先生でした。

出欠簿で名前を見てから数週間後に再会…。先生は現在教師を退職されて、私と同じ第九合唱団に入って歌っています。12年越しの再会で本当に嬉しい気持ちもあり、その年の第九で一緒に歌えた事も本当に誇りであったと思います。

更に二年経ち2017年9月…。アイルランド出国直前に開いた最初の“或る音楽会”…このステージのラストに、私は先生に“ある事”を依頼しました。それは“最後に歌う曲の伴奏をして欲しい”事でした。

その最後の曲は“旅立ちの日に”です。卒業式で歌われる歌ではお馴染みの歌であり、或る音楽会のコンセプトを決める際に、一番最初に決めた曲がこの曲でした。日本を出国する最後の曲に、私の合唱の原点に立ち返りたいと思い、私を合唱部に誘ってくれた先生に依頼した運びでした。

昨年の本番で、最後にこの曲を歌えたのは、“これから一年間アイルランドと言う異国の地に行く事”の不安を拭ってくれました。

今でも先生とは連絡を取り合っており、今回の“或る音楽会”も喜んでくれました。

今回の或る音楽会での“旅立ちの日に”は…どの様な形で出るかはまだ秘密です。

次は高校生の話です。私が入った高校、実は…。

つづく…。


或る音楽会プロジェクト Project of "Aru Ongakukai"

誰もがステージで主役になれるコンサートを目指します。

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