Monologue 2 ~“愛”と言う名の明かり~

前回のMonologueで何故かすぐ噛み付く松本の音の原点が列車の音と記しましたが、肝心の音楽とはどの様にして出会ったのか?今回はその事について書いていきます。

小学校に入学した後も、鉄道以外にあまり興味を示さなかった私ですが、小学校卒業学年となる6年生に音楽に深く入り込む出来事が起こる。

当時高松市では毎年10月に市民文化祭なるものが開かれていました。おそらくどこの地域でも毎年同じ時期に開かれているであろうと思います。

どの様な経緯か分かりませんが、この市民文化祭に私が通っていた小学校の6年生の全児童の合唱団で出演する話が持ち上がりました。当時の6年生の全児童は約150人近くいました。変声期もまだ訪れていない人もたくさんいる中で、どの様にしてパート(ソプラノ、アルト、テノール、バス)に分けたかははっきり覚えていません。

練習は大体5月からスタートしました。当時6年生には音楽専科の先生が居り、音楽の授業はその先生の担当でした。授業の始まりは必ず“始めましょう”、この言葉を三つの音でハーモニーにして歌ってから始まります。授業はとても厳しく熱の入った授業でした。クラスの垣根を越えた一大イベントを成功させるべく、音楽の授業以外の昼休みの時間、更には夏休みまで使って練習した事もあります。

“一つの目標に向かって、全員が一丸となって、一つの音楽を造り上げる”…正直私はその時あまりその意味が理解できませんでした。時間を割いて本気になって取り組んだ事のない合唱曲を歌う事の大変さ…やり始めた当初はとてもしんどかった事と覚えています。

当時の私の担任の先生もとても熱い方で、“これぞ学校の先生”という印象の先生でした。担任はクラリネット奏者でもある事から、音楽に精通しており、クラスだけの練習の時間でも担任の熱の入った指導がありました。ちなみに卒業式後のクラスの謝恩会で、最初で最後にクラリネットを演奏してくれた事は今でもはっきりと覚えています。

時が経つにつれ、10月の本番直前まで来ました。最初のしんどかった気持ちはどこへやら、度重なる練習のおかげか、いつの間にか“早く歌いたい”という気持ちになっていました。今でもなぜその様な気持ちに昇華できたかは分かりませんが、私自身の音楽に対する印象のターニングポイントであったと思います。ここが、“私と音楽の本当の出会い”となりました。

そして本番の日。歌ったステージは市役所横の「高松市民会館」という場所です。今はすでに取り壊され、湾岸地区にある「サンポートホール高松」に成り代わりました。体育館のステージ以外で初めて立つ大きな舞台…その印象は客席は暗く、照明はまぶしい…当たり前の印象ですが、その当たり前が今でもはっきりと残っています。私が立った位置はステージのほぼ中央であり、その緊張感も今も覚えています。

本番がどうなったのか、しっかり歌えたのか…今では忘れつつありますが、“歌が大好きになった”というのは確かでした。

これまで自分が好きだった“鉄道の音”ではない、“音楽との出会い”、そして“歌が大好き”となった私の心はこれから大きな影響を及ぼしていく事になります…。

初めて歌ったこの合唱曲「ともしびを高くかかげて」は、疾走感もありとても格好いい曲です。この曲の歌詞は「暗く果てしない場所にいても、“ともしび”と言う名の“愛”を手に持って、まだ見ぬ友に会いに行く。たとえその明かりが消えたとしても、決して一人ではない。誰もが持っている“愛”が支えてくれるのだから。」といった意味が込められてるのかなと思います。

私が住むアイルランドには留学であり、就労であり、観光であり、様々な国の人達が集まります。その様な人達がいる中で、初めて私がアイルランドに降り立った時は、右も左もわからない“暗き場所”でしたが、一年を終えようとしている今では、様々な人と出会い、私の“ともしび”はおそらく赤々と光っているでしょう。その私の“ともしび”を灯してくれたのは、日本の仲間であり、アイルランドで出会った仲間でした。その仲間達が持って来てくれたのは、“愛”と言う名の明かりです。

今回の「或る音楽会」ではこの曲は歌いませんが、初めてであったこの“音楽”、そして忘れてはならないこの歌詞の意味を胸に刻みたいと思います。

ですが本当に格好いい曲ですので、いつかは夏海さんのアレンジで日の目が来ることが出来たらと思います。

次回はいよいよ本年度のステージに関わる事を書いていきます。

つづく


或る音楽会プロジェクト Project of "Aru Ongakukai"

誰もがステージで主役になれるコンサートを目指します。

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