Monologue 1 ~噛み付き魔の“音”の始まり~
本日よりスタートする松本の勝手な自叙伝「Monologue Of Aru Ongakukai」、お暇な方は是非お付き合いください。
私と音楽との出会い…の前に私の生い立ちから紹介できたらと思います。
私が生まれた土地は四国・香川県高松市。今や他県からの方に説明するにも「うどん県」と言わなければ分からない日本で一番小さな県です。瀬戸内海と讃岐山脈に囲まれた自然豊かな場所で生まれた…わけではなく、街のど真ん中で生まれました。
すぐ近くに栗林公園という国の名勝があっても、周りはビルで囲まれた所にある場所でした。家は戦後すぐに建てられた家で、今や築70年経過していると思われます。
そんな栗林公園近くの産婦人科で産まれ、私は当時築40年ほど経過している家に住み始めました。
幼少期の思い出と言えば、実はあまり覚えておらず、親や親戚の話では「ビデオばかり見ていて、友達とあまり遊ばない、友達は少ない…いや一人ではないか?」といわれる始末でした。
出国前の荷物整理時に発見した幼稚園児の連絡帳を見ると、「今日Yくんのほっぺに噛み付く事がありました。」「今日Aくんが松本君のほっぺに噛み付こうとする事があってすぐに止めたのですが、『今度噛み付かれる事があれば松本君も噛み付き返してやろうよ』と言った事を本気にして、その後すぐに噛み付きに行こうとしたので止めました。」と言った記録がありました…。噛み付き魔であった幼少期の自分に私はショックを受けました。(ですが今もたまに嫌な物事に噛み付いてますが…)
覚えている記憶と言えば、家のすぐ近くに高徳線と呼ばれるローカル線が走っており、家の窓から路線の高架が見え、いつも列車(私は汽車と呼びます)が通るのを眺めていた記憶があります。そこから私は鉄道が好きになり、親にせがむ物も、鉄道のおもちゃや本、見るテレビ番組もきかんしゃトーマスといった鉄道のものばかりでした。
勿論乗る事は私にとってとても楽しみな事であり、どんな近くの場所にも「汽車で連れて行って」とせがんでいました。今の言葉で言うと「乗り鉄」と言った所でしょうか。
汽車に乗ると、私はそこから発する「音」を楽しんでいました。一際音が出るディーゼル音、列車内のアナウンス、汽車が走りだし加速する音…それらの「音」は聞く人によればあまり楽しめない音かもしれません。しかし私はどれも「楽しめる音」でありました。
家から聞こえる汽車の音を含めれば、私は音楽より以前の音との出会いは楽器や歌ではなく、「汽車」にあったと思います。
楽器や歌ではなく、汽車から発せられるディーゼル音を聞いて育った幼少期…そんな松本が音楽と出会うのはいつになるのか…それはまた次のMonologueで…。
つづく
※写真は「今」の香川県を走る列車です。今や日本で二つしか走っていない寝台特急の内の一つです。
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